大丈夫みたい

今読んでいる小説で、お母さんがあることがきっかけで外に出られなくなった子供に「好き好き」の歌を歌う、というのがあって、もうシャワーのように「好き」と言う言葉を子供に降らせるというのがあるのです。
それを読んでそう言えば私って、毎日ちきを抱きしめて(最近は嫌がれつつも)「かわいい〜、ちき、かわいい〜」とは言ってますが(馬鹿親丸出しですが)「好き」とはあまり言ってないかもしれないなぁ、と。
「かわいい」はあくまでも大人の私が子供のちきに言ってるわけで、こう上から下へというか、それよりちきと一人の人間として向き合って「好き」という言葉の方がいいかなぁ、なんて思いまして・・・。
で、言ってみたわけです。お風呂で、だったかな?
「おかあさん、ちきのこと好きだよ」と言うと、ちき、間髪入れずに「知ってるわ!」だって。
「お母さんがちきのこと好きなん、当たり前や」とも。
まさか逆切れ気味にされるとは、でしたが、まぁよかったです。
ちきとの信頼関係は十分に育っているようで。
私が母としていつもちきに無償の愛を注いでるよ、というのをごく当たり前に受け止めてくれていてよかったです。
うちの夫が、ちきの育て方について、いつもたっぷりの愛情を注いでやって(幼少期に特に愛情を持って接して)、自信を持って外に出て行けるように、いつも受け止めてくれる家があることを実感できるようにと言うのですが、なかなか日々の忙しい生活では接する時間が少なくなったり、忙しさにかまけて相手がおろそかになたりしがちなんですよね。
でも「好き」と言い続けると自分の気持ちもあったかくなるし、少しは余裕も生まれるかも。
これからは「好き」をもう少し増殖させていきたいです。
ちきにあきれられても(笑)。